2010年9月3日金曜日

公文式の磁石すうじ盤

3才半の娘は、面白いことは逃さない性格です。

公文式の磁石すうじ盤を与えると、喜んで遊び始めます。

このすうじ盤、磁石であることがポイントです。

くるくるまわって、ぴったりくっつき、はなれいって倒れたり。。不思議な磁石
の動きを楽しんでます。

本来の遊びかたと違いますね。。でもじっくり待ちます。一緒に遊びます。

そのうち、数字たちは、迷子になりはじめます。「私のおうち、どこ?」

さあ、はじまりました。「それじゃ、この数字のおうちを探してあげようよ。」

娘は、すうじ盤のマス目から、数字のおうちを探しはじめます。。

そのうち、何故か迷子が続出。せっせと数字盤をうめていきます。

そんな調子で、30まで、ばっちり並べることができました! 拍手〜!

2桁の数字の場合、まず1桁目を見て列を見つけるというポイントがしっかり身
についていました。

行列の基本です。

すうじ盤は、実をいうと、今年3月に買ったばかりの時に、1つ無くしてしまっ
たのです。

そこで、くもん出版のHPにばら売りしているか問い合わせてみました。

すると、その日のうちに、「1個でしたら無料でお送りいたします」とのこと!
 到着まで3〜7日。

すばらしい! 教育業界では、もはや老舗といえますが、やりますね〜。どう
も、ありがとうございました。

画像投稿 テスト

画像投稿のテストです。どうなるでしょうか。

2010年9月2日木曜日

仕事のモチベーションを瞬発的に上げる2つのポイント

今日は、恥ずかしげもなく自己啓発的エントリ(駄)を投稿します。

目の前の取り組むべき課題について、瞬発的にモチベーションを上げる場合、こ
の2つは大切にしたいです。

1) 楽しんで仕事する
2) 集中力を維持する

精神的・物理的雑音を如何に減らすことができるか、が鍵となります。
記憶力の良い(←悪い思い出に対して)人、周囲の音に敏感な人は、特に気をつ
けた方が良いでしょう。

ゲーマーがゲームに取り組む感覚と共通していることが興味深いです。
仕事とゲームには動機そのものに違いがありますが、いずれにしても脳の状態の
最適化が大切です。
ゲームが好きな人は、ゲーム機スイッチオンで受動的に脳の状態が切り替わるの
かな、と思います。
仕事する人は、それを意識的に行わなくてはならない。仕事用のスイッチがあれ
ばいいですね。

学生の勉強も同じことです。誰もが楽しんで勉強できる方法はないのでしょうか。
文科省や大学の教育学部は、「何を教えるか」ばかりいじくり回して改革したつ
もりでいますが、
「どう教えるか」については果たして?

後者の方が断然大切だとおもいます。なぜなら、基礎さえ固めて、楽しさを知れ
ば、自ら学んでいくでしょう。
もちろん、ゲームやテレビの魅力を超越する「楽しさ」を提供できれば、の話で
すが。
昨今の先生たちは大変です。当面は、強制するしかない現実に向き合わないとい
けません。
でも、どうか頑張ってこの状況を打開して欲しい。

上記の2つのポイント以外では、方向性・独創性・将来性・収入など重要な事柄
もありますが、いずれも長期的な観点ですから、このエントリでは割愛 です。
これらは、時代や環境、そして個人の価値観で差が大きい事ですし、馬上・枕
上・厠上でじっくり考えるのが良いと思います。

2010年8月30日月曜日

理解するということ

「理解する」ということ、あるいは「分かる」ということは、2つの定義がある
と思います。

第一は、「ルール(法則)を知ること」です。法則を表現する場合、人間が理解
できる記述形式は2つしかありません。1つは「論理」、もう一つは 「数式」
です。数式は論理の1部ですので、実質は唯一、「論理」ということです。ただ
表現の形式として大きな違いがあります。

第二は、「人に説明できること」です。自分の言葉で、クリアに説明できるこ
と。ある言葉の定義がどれほど一般に膾炙しているか、を理解してればよ り多
くの人が、分かるように説明することができます。

読書をしていても、漠然とした理解にとどまりがちです。上のどちらかを達成で
きれば、その本に記述してあることを理解できた、と言えるのではない でしょ
うか。

2010年7月7日水曜日

七五三の前撮り

 11月中では写真館の予約が取りにくくなるので、近年はこの時期に前撮りして
済ませてしまうのが推奨されています。先日、私たちも写真館で記念撮影をしま
した。娘だけでなく、私と家内も和装しての撮影でした。娘も家内も良く似合っ
ていましたが、私はどうも落語家さんみたいな感じで戸惑いました。撮影は1時
間半以上に渡ったので、途中休憩を入れながらとなりました。娘ひとりでの撮影
では、飽きも手伝ってやや難儀でした。娘には「お姫様になったつもりで頑張っ
て」、と、ちやほや乗せながら応援しました。家内はお気いりの人形で注意をひ
いたり、安心させる作戦。私は「可愛い!」などと連呼。親ばか丸見えのようで
したが、その行為はその場限り。娘の写真は残りますので敢えての行動でした。
(正直、恥ずかしかったぁ。写真館のスタッフはどう思ったでしょうか。慣れっ
こかもしれませんがうんざりしていたかもしれません。)娘も状況を察したの
か、ここ一番で絶好の笑顔を見せてくれました。私の「にっこり笑えば終われる
よ」の一言が効いたのかもしれません。ともかく、親との思い出づくりに根気よ
く付き合ってくれました。男性カメラマンの予測不可な素早い動作が苦手のよう
でしたが、よく頑張りました。お昼過ぎ、無時に終了。お腹がすいていたせいか
もしれませんが、娘もカメラマンもぐったりと疲れてしまったようです。遅い昼
ごはんは私が握ったおにぎりでした。帰りがけに電器屋さんで兼ねてから所望の
「ココロポッド」を買ってあげました。たいへん気に入ったようで、それから
ずっと得意げにしています。とりあえずの幸せに浸っているようです。

 後日、撮った写真をWeb上で確認できました。100枚近くあり、その中から10枚
選びます。インターネット経由ですのでいつでも見れます。とても便利で助かり
ました。それにしても、さすがプロが撮った写真です。素晴らしい出来栄え。私
までとられ慣れたように見えました。撮影前日の急な予約にも対応してくれまし
たし、家内の見立て通り腕も抜群でした。良い写真館を見つけたものです。大切
な家族の写真、私の生涯の宝物になるに違いありません。娘の嫁入りに持たせる
ことになるのでしょうか。長い時間をかけて、彼女の宝物として引き継がれてい
くのでしょうか。カメラマンの方、ありがとうございました。

 七五三には子供の成長を祝うという意味があります。私にはそれだけでなく、
親子の思い出を作るという役割もあると思います。お祝いだけでは単なるセレモ
ニーかもしれませんが、この家族がいるという証をこの世に残すことは、それを
超えた意味があるように思えてなりません。

2010年7月2日金曜日

寝坊とお弁当でおおわらわ

 ひと月ぶりくらいですが、娘のお弁当をつくりました。冷蔵庫にあるものばか
りで作ることにしました。おにぎり、ゆでたまご、ブロッコリー、レトルトハン
バーグとデザートにキウイ。簡単なはずですが、40分もかかってしまいました。
ゆで卵が半熟になってしまっていて、もう一度煮直したのが敗因でした。

 実は、昨夜は娘と一緒に寝たのですが一度起こされてしまって、それから明け
方まで寝付けずに結局朝寝坊してしまいました。お弁当を作り終えたのは8時 35
分ころ。それから朝ごはん、お着替え、etc. そんなこんなでやっぱり遅刻しま
した。9時10分に幼稚園にやっと着きました。それでも雨が止んでいたのが幸い
して、予想より早めに着いたくらいです。

 家内は30分くらいで手の込んだもの(手作りハンバーグなど)をいろいろ作り
ますから、手際がかなり良いです。最近は私が手伝う必要がなくなったみたい
で、うろうろしていると邪魔もの扱いされてしまいます(涙)。入園した当初私
が握っていたおにぎりも、今は家内が握っています。私は何かと味付けごはんを
握りたがるからでしょうか、お役ごめんとなりました。

 朝は忙しいので、そのためにも夜はぐっすり眠っておきたいです。最近、一度
起こされると、なかなか寝付けないので困っています。

 おいしく食べてくれるといいな。

2010年7月1日木曜日

W杯 過去を振り返った

 W杯パラグアイ戦でPKを外してしまった選手。過酷な運命が始まる瞬間を見て
しまいました。言うまでもなく、この選手を責め立てる人間など、日本には誰一
人いないと信じています。少なくとも、彼一人にこの敗戦の責を負わせるような
考え方は絶対にあってはならないと思います。サッカーの戦術については良く知
りませんが、120分で1ゴールも決められなかった原因について分析するべきと思
います。

 崇高な精神を持った人間ほど、他者の評価ではなく、自分が納得できるかどう
かにこだわります。数多のサッカー選手から、あそこまで登り詰めた選手ですか
ら、自分との戦いに勝利することを何よりも望んでいたに違いありません。彼の
矜持は著しく損なわれてしまったでしょう。しばらくは立ち直れなくて当然と思
います。

 彼のような大舞台ではありませんが、私も数々の痛恨の経験があります。ちょ
うど今ごろの時期、彼と同じくらいの年齢の頃でした。気分が沈みますので詳細
を書くのはやめておきますが、「空が落ちる」という感覚を初めて味わいまし
た。冷淡な現実の前に、為すすべもなく、曇天を只々仰いでいたのを思い出しま
す。このような辛酸の経験があってこそ今の自分がある、と誇れるようになるに
は、大変な時間を要しました。

 彼の苦渋の表情は、多くの人に過去を、挫折を振りかえらせたことでしょう。
彼も同じだと思いますが、その時の光景を忘れることは一生できないでしょう。
早く立ち直って、自信を取り戻して、サッカーをやり続けて欲しいと思います。
周囲はそっとしておくのが良いと思います。このような時は、自分の力でしか這
い上がるしかありません。見守るということが大切な時期があります。

 それにしても自重という言葉を知らない恥知らずなマスコミの動き、誰か封じ
てやれないのでしょうか。彼の母親にインタビューなんて何と下世話な組織か。
絶句しました。

2010年6月30日水曜日

Netwalker PC-Z1について

 ちまたではiPhone4の発売で大変な賑わいですが、購入予定のない私は、愛用
の端末SHARP NetWalkerについて書いてみました。

 昨年の11月下旬にSHARP製 Netwalker (PC-Z1)を購入しました。かれこれ半年
近く使っていますが手軽な端末として重宝しています。私見では、ビジネス・
ユーズよりも、プライベート・ユーズに向いていると思います。ネットブラウジ
ング以外では、下記のような使い方をしています。

【電子辞書:EBview, Wikipedia】
 16GBのSDカードに大量のEPWING辞書を放り込んで好きな時に検索しています。
Linux環境が必要ですが、WikipediaもEPWING 形式にできます。読書のお伴とし
て頼りがいがあります。理化学辞典は読んでいるだけでも楽しい。初代シグマリ
オンも遂に引退となりました。今までありがとうございました>シグマリオン

【電子書籍: XJP, 青空文庫】
 読書と言えば欠かせないのが青空文庫ビューア「XJP」です。これで気になっ
ていた、たくさんの名著を読み漁っています。高校の頃、国語の参考書として
「国語便覧」という本が配布されました。私はこれが好きでよく読んでいまし
た。そのようなわけで、私は作家や作品のタイトルなどには詳しいのですが、実
際にはそれほど読んでないという、「えせ文学少年」でした。今、こうして存分
に読むことができます。興味を持ち続けていて、良かっと思います。私の故郷が
舞台になっている田山花袋「田舎教師」、若者の間で話題となった小林多喜二
「蟹工船」など、気軽に読むことができました。今は夏目漱石「それから」を読
んでいます。
 最近の本については、NetWalkerライブラリーで有料配信されています。諸事
情あると思いますが、高額に感じます。あとラインナップがもう一つですね。頑
張ってほしい。

【Windowsリモート操作:tsclient, FMトランスミッター】
 NetWalkerにできないことは多々あります。そんな場合は、tsclientという
Windowsリモートデスクトップのクライアントが便利です。Windowsリモートデス
クトップはXP,7のPro版などにある機能で、端末で画面を表示して、リモート操
作も行えるという優れ物です。 tsclinet+Windows Pro版の組み合わせで、
NetWalkerからWindowsを操作することが可能になります。私の使い方は、
Windowsマシンで管理している音楽ファイルの検索・再生をtsclientから行って
います。WindowsマシンにはFMトランスミッターを接続して、携帯ラジオで受信
します。もちろん、それ以外のWindows操作(Officeファイルの編集など)もリ
モート操作で可能です。

【その他】
 メモを取る場合は、軽量なテキストエディタ「LeafPad」がお勧めです。gedit
は高機能ですが起動までの待ち時間が長いので。それでもポメラほど快適ではな
いでしょう(使ったことありませんが)。

 まあ、私の場合は音楽鑑賞と読書が趣味ですので、こんなものかな、と思いま
す。キーボードが小さく、また打鍵感がすこぶる悪いので、長文の作成・プログ
ラミング・CUIオペレーションには向いていません。私はシグマリオンでかなり
の長文(論文の素案など)を打ちこむことができたので、苦手ではないはずで
す。NetWalkerのキーボードでは、検索ワード入力やTwitterで短文をつぶやく程
度がと考えた方が良いでしょう。それでもあった方が絶対に便利です。

 ビジネス用途としては、出張時のメールチェック用端末が考えられます。た
だ、無線LANのあるホテルばかりでないので、有線LAN(USB接続)を用意する必
要があります。

 私の場合ですが、この端末のおかげで、ハッキング被害にいち早く気がつきま
した。手近にネット環境があったのが功を奏したようです。標的となったサービ
スを即座に停止したのもこの端末からです。被害を最小限にとどめることができ
ました。

 ただし、これ以上の用途の拡大には黄色信号が灯っています。その理由は、
ARM系CPUを採用しているため、です。EverNoteやKeyHole TV(私の場ラジオが聴
ければOK)は、NetWalkerのような携帯型端末にはうってつけのアプリケーショ
ンと言えますが、残念ながら対応していません。その分、バッテリーが持つ。ア
ドバンテージとしては駆動時間の方が強いと思います。
 
 それでも、私にとっては、価格相応の価値はあると思っていて、満足していま
す。Linuxが好きな人はこの端末の実用性を引き出せると思います。それ以外の
人には、やはりプライベートな使い方に限定されてしまうでしょう。それを踏ま
えても、ガジェットとしては最高の逸品だと思います。「使いこなす」よりも
「楽しむ」のがこの端末と仲良くなるポイントです。購入時はかなり迷いました
が、買って正解だったと思います。NetWalkerのある時代に生まれてよかった
〜。あ、iPhoneでもできることばっかりですな。

 (しかし、販売戦略上仕方ないのかもしれませんが、熟年・シルバー層にまで
勧めているのはいただけないなぁ、と思います。なにせ画面が小さすぎます。あ
と、他者との連携が必要なビジネスマンはやはりWindowsにした方が良い。少し
お高いですがNetWalkerサイズのWindowsマシンもあります。)

  番外:子供のおもちゃとしても案外使えます。Windowsと違ってLinuxでは重
要な設定変更のハードルが高く設定されています。子供に貸して好きなように触
らせても問題なく、「貸してー」と言われてもまったく困りません。私の場合、
即座に「はいよ」と渡してしまいます。さすがにハードウェア的な損傷には注意
が必要ですが。娘はタッチパネルが大好きで、キーボードも彼女の手にぴったり
サイズです。ある日は新規フォルダをたくさん作成して、それに名前を入れてた
いへん満足げでした。

2010年6月29日火曜日

最近の音楽は

 最近聴いている音楽について、駄文を綴りましたので投稿します。
 
 やはり心に残るのは、Aの「Going My Way」と「ONE」。先月のライブで演奏し
てくれました。感激でした。「風曜日」も初めて生演奏で聴くことができまし
た。Neo Universeは聴きこむほどに良い。最初に聴いた印象と大きく変わってき
ている。捕り憑かれるような不思議な魅力を持つ。いつの間にか、頭の中をぐる
ぐるーって回っています。「夢幻」と同様に手の込んだ作品だけど、技巧的な編
曲には、聴きこまないうちは気がつかないためか、押しつけがましくない。爽快
に疾走するプログレと、得意とするスタンダードで構成された、熟成感のあるア
ルバムに仕上がっています。

 Oeacn colour scence 「Saturday」も聴いています。どんどんシブくなって
いきますなぁ。意表を突くギミックも心地よく聴かせてくれます。 Mechanical
wonderに近いかな。味のある作品がせいぞろい。エフェクトや派手なアレンジは
最小限で、生に近い、楽器本来の音を聞かせてくれます。芯のあるボーカルに
ぴったりはまっています。他の洋楽アーティストでは、9月発売予定のAthleteの
ベストアルバムを楽しみにしています。新しいところでは、家内に紹介しても
らったThe Temper Trapに興味があります。恰好いいです。関係ないけど今年も
フジロックへは行けません。。OCSは来る見たいだなぁ。しかもGreen stageと
は。。MUSEも来る。。あー、今となっては、遠い、遠すぎる!!

 1年前くらいから、クラシック・ピアノを聴くようになりました。インター
ネットラジオSKY.fmで試しに聴いていたのがきっかけです。ジョン・オグドンが
演奏するリスト「愛の夢」でした。これからフィギュアスケートの浅田選手が使
うようですから、人気がでるでしょう。他には、ショパンの交響曲を気分転換に
聴いています。「チャイコフスキー・コンクール」とカレーのCMで有名な女性演
奏家(中村紘子さん)のコンサートにも足を運びました。すばらしい演奏に気を
失いかけました(本当はあまりの心地よさに眠そうになってしまった)。やはり
プロの演奏はすごいなぁ、と。ショパンを中心にした選曲でしたので、初心者な
りですが良さが分かりました。ピアノは好きな楽器です。姉がピアノを習ってお
り、私は遠慮してしまったので、これからも弾けず終いでしょう。近所に住む年
の離れた従姉が音大を出てピアノ教室をしていたのですが、折角のこのチャンス
を逸してしまったのでした。自分のことですが、もったいなかったと思います。

2010年6月28日月曜日

私のセキュリティ心得 サイト防衛は攻撃者の視点で

サーバ侵入被害に遭った経験から言えること:

 「攻撃者の立場になって、セキュリティ(防衛策)を考える」

 セキュリティには色々な考え方があって、管理者によって多種多様です。例え
ば、ポート番号の変更に防御的な意味があるかどうか、について「有効」と考え
る管理者もいるし、そうでない人もいる。私はかつて後者であった。だからポー
ト番号は変更していなかった。しかし、攻撃者の立場になって考えると、必ずし
も適当でなったことが分かる。

 昨今流行りの攻撃方法は「ブルートフォースアタック」だ。PCやネットワーク
のの能力は十分に発達し、個人でも可能となってしまった総当たり・絨毯爆撃
(先日ブログで触れた「網羅的解析」のクラッカー版にあたる)。IPアドレスを
便りにpingなどで世界中のホストに問い合わせをして、応答があれば攻撃開始。
IP アドレスの数は天文学的数字(4,294,967,296)なので、それだけでも時間の
かかる作業だ。さらに、攻撃できるかどうかを判定するために、開いているポー
ト(侵入経路)を調べる。ポートはサーバ1台につき6万以上ある。全てのポート
を調べることは無論可能であるが、それにはさらに時間がかかる。しかし、ポー
ト番号はサービス毎におおよそ決まっているしているので、通常の設定で使用さ
れるポートだけを調べるのが効率的である。すなわち、「ホストは網羅的に探索
しないと見つけることができないのに対し、ポートはある程度「当たり」を付け
ることができる。」よって、後者(ポート番号)の網羅的な調査は敢えてスキッ
プするのが効率的である。それだけでなく、ポート番号を変更していないサーバ
は、セキュリティ意識に希薄な可能性あるので、標的のスクリーニングとしても
有効である。。
 
 ブルート・フォースの攻撃者は「侵入しやすいホストを探索する時間(待ち時
間)をできるだけ減らしたい」と目論んでいるに間違いない。だから、限られた
ポート番号しか狙わない。したがって、ブルート・フォースに対しては、ポート
の変更は有効であると考えて良い。もちろん、特定の標的として狙われてしまっ
たら、ポートを網羅的にスキャンされるので、ポート変更は殆ど意味が無い。け
れども、特に恨みを買っている覚えのない私の場合、当面の間の驚異はブルート
フォースである。そこで、私はあらゆるサービスのポート番号の変更を行うこと
に決めた。単純作業ゆえちょっとした苦痛を伴ったが、危険性が大幅に低下する
と判断したのだ。

 管理するサーバが多いとセキュリティ設定の作業だけでもとても煩雑になり、
それだけでなく対策によっては使い勝手の低下を招くおそれもある。そこで、で
きるだけ有効な対策を選んで実施したいものだ。いろいろなセキュリティ設定の
推薦されているが、やはり攻撃者の視点で、有効であるかどうかを判断するのが
良いと思う。

 と、まあ、素人が偉そうに書きましたけども、プロのサーバ管理者の間では常
識かも。あと、情報収集も大切ですね。専門のサイトでは、セキュリティーホー
ルの報告が目につきやすいですが、それよりも「攻撃ツールの公開」に鋭敏にな
ることが重要です。そもそもセキュリティーホールが分かっていても、攻撃の方
法が分からなければ殆どのクラッカーには攻撃の仕様がない。よって、実態とし
てはいわゆるゼロディ攻撃の被害は殆どないと考えて良い。一方、セキュリ
ティーホールに対して、攻撃ツールが作成され、それらがアンダーグラウンドで
公開された場合に、危険度が著しく上昇する。そうなったら、サービスの利便性
などと言ってられない。ただちにパッチを当てるなり、サービスを停止するな
り、対策を講じるのだ。

 
 

 

2010年6月25日金曜日

娘が3才5ヶ月になりました

先日3才5ヶ月になった娘について、ちょっとした記録として書きとめておきます。

1) 3才5ヶ月娘、身長がついに100cmに。大きくなったねー。
2) 肺炎球菌の予防接種しました。大泣きだったそうな。昨冬、新型インフルか
らの肺炎(の疑い)で危ない目に遭ったからなぁ。受けておいて間違いない
3) その予防接種の代金(1万円)を、お札で支払ったところ、「こんなにあげ
たらなくなっちゃうよー」って心配したらしい。お金の大切さが分かってきたの
かも??
4) 平仮名がばっちり読めます。おかげでお友達を名前で覚えることができます。
5) 先日のこと。その日の朝、お着替えの時、ご機嫌が斜めに。そのままえんえ
んと泣きながらの登園となりました。泣き声を聞いた先生やお友達が教室から出
て来てくれました。先生に抱っこされると、「照れちゃうよー」などと言って、
泣きやんだそうです。やさしい先生、たくさんのお友達がいて、良かったねー。
6)昨日もケンカして来たらしく、アゴをお友達に噛みつかれてしまいました。。
こちらも怪我をさせていないか心配です。

なにはともあれ、すくすくですねー。
親ばか記事ですみません。

2010年6月24日木曜日

書評:ゲノム敗北

 2004年に刊行された当時、大変話題になった科学者必読のルポルタージュ。ヒ
トゲノム解読競争において、日本はわずか6%の貢献率でした。この失敗の本質を
和田昭允博士など日本のゲノム科学の先駆者たちのインタビューを交えて検証し
て行きます。敗因をまとめると、だいたい以下のとおり。

1) 米国の研究者(本書ではワトソン)による政治的圧力に屈し、ポジション取
りの段階から後手に回った
2) 国内アカデミアの研究者は、技術の知財化・製品化への意識が希薄であった
3) 国産の技術が国内で理解されず、海外の企業に売り渡されてしまった
4) 研究者間・省庁間の足の引っ張り合い
5) 網羅的解析への無理解加え、ゲノム完全解読の意義をアピールする側が消極
的であった

 上記の問題は、いま現在どのような状況なっているでしょうか。私見を踏まて
ですが以下に述べます。

1):未解決問題。果たして日本の科学者のコミュニティから対抗馬が生まれてく
るだろうか。昨年の事業仕分けが引き金となり、多くの種がまかれたと思う。け
れど即効性はない。対等の駆け引きが出来るようになるには、長い長い時間がか
かるだろう。(でも、海外との駆け引きって、科学者の仕事かな?ひょっとし
て、外務省のお仕事?少なくとも初期は科学者同士の問題か)。

2):知財への意識は改善されつつある。その分、論文発表が後手に回るという問
題が起こってしまっている。

3):現在進行形の問題か。今でも多くの日本の技術が海外の大資本に買い漁られ
ているだろう。企業は利益の追求が最優先ですから、買ってくれる人が日本人だ
ろうと外国人であろうと気にしないのでしょう。愛国心のある社長なら、日本の
買い手を優遇するかもしれないが、基本的に営利団体に愛国という価値観を期待
してはいけないと思う。

4):たしかに門外漢の提案を冷遇する研究者は多い。島国根性はひどい。私です
ら時に感じることがある。省庁間の小競り合いは陸軍と海軍の頃からの悪しき伝
統。強い競争意識に、損得勘定に聡く、科学や国難でさえ立身出世の道具として
考えられない人間が上に立つと、このような悲惨な結末が待っている。自然を敬
う心・公共を尊ぶ心を蔑ろにし、事務処理能力ばかりを重視した教育の失敗と見
ている。

5)については、完全に科学者の問題であると思う。懐疑派を説得するとしたら、
以下のとおり。

 網羅的解析の価値は科学の分野によって様々であるが、少なくとも生物学の世
界では網羅的解析は重要である。これまでは無限であった探索空間を狭め、仮説
に可能性の順位を与えることが可能となるため、です。
例えば、試験管の実験で、あるタンパクAとタンパクBが結合することが分かって
いたとする。このタンパク間の結合が実際の生体で起こるかどうかは分からな
い。生体では、タンパクAに対する親和性においてタンパクBのそれを超越する他
のタンパクCが存在しているとしたら、タンパクAはそのタンパクとばかり結合し
てしまい、タンパクBとの結合は殆ど観察されなくなってしまう。タンパクCの
存在が否定されない限り、試験管見られたAとBの結合が、生体にとって意味があ
る結合であるとは言えません。そこで、タンパクCの存在を否定する必要が出て
きて、網羅的解析が不可欠となる。
 実際には、タンパクCが存在していても、条件によっては本来は2番手のBが結
合することもあるので、生物学は非常に奥が深い。そのような意味では、網羅的
解析は、生物現象の体系的なアプローチへの足がかりに過ぎません。しかし、非
常に大きな一歩と言えます。ゲノムを完全に解読することによって、網羅的に解
析できたかどうか、きちんと判断することが出来ます。
 つまり、完全解読によって分母が決まる。分母が分かっていることは、可能性
を1つ1つ潰していくアプローチにおいて、非常に重要な条件なのです。生物系
を始め複雑な現象を理解するには、このようなアプローチがどうしても必要にな
ります。身近な(?)例で説明するなら、手掛かりの乏しい事件を捜査する場合
に、おまわりさんがローラー作戦で現場周辺に聞き込みをしまくります。あれと
同じロジックです。
 
 すばらしい賞を多数受賞している著名な科学者が、講演で網羅的解析のことを
「ばか○ょん」と呼んでいて、大変残念だった。言い方もひどいが、このような
アプローチは科学ではない、とでも言いたいようであった。他分野、とくに年配
の科学者への網羅的解析への理解・普及が足りていないことを痛感してしまっ
た。生物学者の間では、もはや常識になりつつある。例外が多すぎてシステム的
に解決できないとか、再現性やお金がかかるという問題もあるけれど。

 日本の科学の発展のため、今日も頑張りまーす。

2010年6月23日水曜日

書評:「この世界の片隅に」 司馬 vs 女性作家

 かつての私の愛読書は司馬遼太郎の歴史小説でした。それは乱世を駆け抜けた
男たちの生きざまを、目もくらむような筆力で鮮やかに描いた傑作のオンパレー
ド。何冊読んでも、何度読み返しても飽きることがなく、ひとときの間虜になり
ました。司馬の作品は、取り上げる時代がおおよそ戦国・幕末に限られるという
ことで、基本的に「覇権主義・権謀術数に翻弄された、勝者と敗者の愛憎と確
執」が物語の軸になっています。当時の私の生き方・考え方もそれに近いものが
あり、要するに若気の至りで怖い者知らずであったと思います。

 時は過ぎ、娘を授って、「目に入れても痛くない」の意味を知った私は、女性
作家の筆運びに惹かれるようになりました。例えば、小川洋子さんの「博士の愛
した数式」など。登場人物やシチュエーションはやや変化球的ですが、物語は日
常の範囲を逸脱する気配すらみせません。司馬氏の乱世・権謀術数劇とは対極的
です。

 表題の漫画は、「夕凪の街、桜の国」で著名な女性作家の最近の作品で、戦前
から第二次世界大戦の一般市民の生活を取り上げています。巡り合わせを運命と
受け入れ、悲運とさえ折り合いをつけながら、主人公の淡々とした暮らしが描か
れています。「夕凪の街、桜の国」と並ぶ傑作で、過酷な運命を背景に、登場人
物たちが日常を前向きに生きていく姿が印象的でした。

 小川さんの作品もそうですが、女性作家は、日常から何かを見出そうとする特
徴があるように思えます。何気ない日常として過ぎ去ってしまう出来事を、独特
な視点で切り取り、繊細な感覚で観察し、その背景を豊かな感性で埋めていく。
普段は気がつかないことを色々教えてくれるような気がします。多くの人が当た
り前のこととして見過ごしてしまう出来事を、「本当に、それは当たり前のこと
なの?」と読者に問いかけているような気がします。想像に過ぎませんが、日常
の一瞬を大切にしているからこそ、身近な題材でも素敵な物語を紡いでいくこと
ができるのでしょう。

 「この世界の片隅に」は、女性作家ならではの、「戦争」を描いた良作として
仕上がっています。戦前との対比で戦争を語ることが特徴です。戦前とは、すな
わち、かつてあった「日常」ですので、やはり「日常」が軸となっています。司
馬氏に代表される男性作家の場合、「戦争」は「敵(または好敵手)」との対比
で描かれることが多いのと対照的です。微視的と巨視的という表現もできるかも
しれません。戦争を語る切り口としては、どちらも欠かせないと思います。この
作品によって、男性的な切り口に偏っていた自分に気がつかされた次第です。

 それにしても、「不幸を嘆かずに淡々と日々を生きる」という設定に弱いので
す、私。日常を粛々と生き抜くことが悲運に打ち勝つ唯一の術である、という
メッセージにはものすごく応えます。そして、普通の暮らしとは、運命を諦観し
て流されることでは決して無いということ。むしろ宿命に対するしたたかな抵抗
に近い。うーん、私の人生観、変わって来たなぁ。大好きなAの歌にも、「今日
から明日へと、時をつないでいこう」という歌詞がある。ここに最近さらに弱く
なった。

 最近、女性作家から、大切なことを教わっているという話しでした。男性向け
作品ばかりのお父さんたち、「この世界の片隅に」はおすすめです。女性作家の
作品で人生観を変えていきましょう。

2010年6月22日火曜日

家族でカラオケに行ったよ

 梅雨入り前のある休日のこと、昼過ぎまで公園で水浴びをして、ひとしきり遊
んだ娘と、ハラヘッタ何かくれ状態の家内と私とで、お寿司屋さん(1皿100 円)→
アイスクリーム屋さんという目もくらむような豪遊をしましたとさ。ドラッグス
トアでの買い物の後、家内が「カラオケにいこうよ」と私を誘った。娘はまだ3
歳。そんな盛り場みたいなところ、大丈夫か。。と思いつつ、家内の主導権によ
り、お気に入りの歌を歌い合う楽しいひと時に突入していきました。私にとって
は、かれこれ10年以上行っていない、カラオケルームへ。

 店には高校生らしき人々がが集まっていて、居ごごちわるく早くもそわそわ。
部屋に籠もってやっと一息つきました。何はともあれ、まずは音量をぐーッとさ
げ、娘の耳をいたわることにしました。娘は、見知らぬ雰囲気に落ち着かない様
子。分厚い歌集から童謡のページを必死に探して、何曲か投入。これでご機嫌で
いてくれるだろう(?)。。と不安げな私。家内は早速、お気に入りの歌を熱唱
中。メイン・ボーカル兼盛り上げ役の家内は私のために星ディスを入れようとし
たが、操作ミスで「無言劇」が入ってしまった。折角だから、と歌う。当然歌詞
を見なくても歌える。「しーつれんぶたいーうらぁーー(あら、結構きもちい
い。。?)」そこで、娘がダメだし。突然の終了。ふと我に帰った。俺は筋金入
りの音痴なのだった。。次は娘の番。ハートキャッチ某を熱唱。おおー、意外と
歌えている。満足げに、にっこり。マイクを持つ姿も様になっとる。。家内は合
唱部にいたせいもあって、とても上手い。男性ボーカルの歌も無難に歌いこなし
てしまう。歌唱力に不安がある私は、娘と「崖の上の」某を熱唱。これなら安心
して歌える。なんと有りがたい曲なのだ。万歳。この他、童謡を入れずぎたせい
で、あっという間に残り十分のコールが。私は、ありったけ荘厳にさだ先生の
「まほろば」を歌い出すも、またもや娘がダメだし。「パパのうた、やだー。」
で、私はこれにて終了。ほっとした。家内はライブで聞けなかった大好きな一曲
を熱唱して、ご満悦。この日は1時間で退散。久し振りだっだけに、面白かった。

 歌を歌うのは気持ちが良いことです。人前でパフォーマンスする度胸もつくで
しょうし。しかし、カラオケって、なんかちょっと抵抗があるのですよね。繁華
街的というか、あまりにも享楽的というか。歌を歌う、聴くということがあまり
にも手軽過ぎて。誰かが熱唱していても、曲検索作業に漫然に移ろってしまっ
て、どうもなぁ。。と思うのです。盛り場特有の雰囲気も、小さい子どもには、
ちょっと早すぎるかな、とも思う。。でも、歌を歌うこと自体は何も悪いことで
はない。。。上手く折り合いが付けられないものだろうか。

 雨が多いこの頃、気軽に歌を楽しむのも良いかな。

2010年6月21日月曜日

スポーツ選手 リアルヒーロー Wカップ

 スポーツ選手は夢を与える職業だと思います。現代に生きるヒーローであって
欲しいと思います。大学院生の頃、助手の先生とプロ野球観戦に行きました。海
辺の球場はむせ返るような熱気と、射るような光り溢れ、独特な雰囲気に包まれ
ていました。プロ野球の人気が目に見えて落ち込んでいた時期でありましたが、
パ・リーグ平日のナイトゲームにもかかわらず、どこからともなく大勢の観客が
やってきました。後攻のチームがそれぞれの守備位置につきました。なんと選ば
れた幸運な子どもたちが一緒でした。そして子どもたちの期待を一身にうけ、戦
いに臨む選手たちの姿は紛れもなく現代に生きるリアル・ヒーローそのものでした。
 
 ちょうど南アフリカで開催しているワールドカップにも、リアル・ヒーローた
ちがいるわけですが、実は私、このサッカーというスポーツを観るのが苦手で
す。それは、ある反則のやり方があまりにも汚くて、付いていけないと感じるか
らです。よくスポーツ新聞に写真が掲載されていますが、相手の選手の服をつか
んで、引きずり倒す、というあれです。Jリーグブームで知ったのですが、上手
い選手はこれを審判に分からないように犯すそうです。試合後、そんな相手と握
手をしなくてはならない白々しさも嫌いです。野球の隠し球も観客は白けます
が、野手のトボケタ様子、それと茶目っ気があって、まだ、いい。プロ野球で
は、睨み合うことがあっても、白々しい握手など決してしません。

 地元のサッカークラブはJ2に所属しています。子どもたちに夢を、というス
ローガンのもと、着実にサポーターを増やしています。選手たちは子どもたちの
ためにフェアプレーを見せ続けてくれるだろうか。リアル・ヒーローで居てくれ
るだろうか。せめてスポーツの世界では、綺麗事といわれようと物語をみせて欲
しいものです。勝つために故意に反則するようであれば、それは単なる職業運動
であって、観客が期待するヒーローや物語とはほど遠い。反則しても勝てば良い
など、欲望の昂ぶりに過ぎません。子どもたちに夢など与えられす筈もない。い
くら強くてもわざわざ観に行くような代物でもないだろう。フェアプレーにこだ
わり続けなら、応援する価値があると思います。多くのプロ選手にとっては、厳
しい意見かも知れないけど。どんなに追い詰められても、研究者が捏造してはい
けない事と同じように。
 
 世界の大舞台でも、審判の目の届かぬ陰では、暴力的とも思える反則が行われ
ているだろう。その光景は、子どもたちにとってはかなり刺激の強いものに違い
ない。だいぶ前から、国技を支える相撲部屋では、一般人的なモラルも存在しな
いことが判明してしまった。亀田某のボクシング然り、見たくもないスポーツば
かりが話題になって困る。

 スポーツ選手の皆さん、子どもたちの衆目を浴びるのですから、どうかフェア
プレー心がけてください。いつまでも物語の主人公であって欲しい。国会議員に
なるなら綺麗ごとの世界からは完全にサヨナラですが。あ、あと、ニッポン代
表、がんばれー!! 

2010年6月20日日曜日

幼稚園では別の顔?

4月から娘は幼稚園に通っています。先日、父母参観日がありまして、幼稚園で
の娘の様子をみることができました。
まあ、とにかくはしゃいでおりました。先生が話している間も、落ち着きなく、
立ったり、座ったり、ジャンプしはじめたり。。やりたい放題しておりました。。

私と家内が来ているという、特別なシュチエーションのせいで、エキサイトして
いるだけなのか、それとも常にこんな感じなのか? 家内と苦笑いしながら、互
いの意見を聞きあいました。やっぱり、普段の様子は先生に聞いてみないと。
でも先生に聞けません。なぜって、何か悪い予感が。。

 最近も、参観日がありました。今回は、平日のため、家内のみ参加。相変わら
ずお調子者をしているとのこと。
この間は、男の子とケンカをして来たらしく、顔にひっかきキズを作ってきまし
た。やや強情なところがあるので、そのうちしてくるだろうと思っていました。
木登りもしているようです。そうかと言えば、このお転婆さん、決まった女の子
を捕まえてプリキュア遊びに興じることもあります。人付き合いには積極的で、
たいへん良いことだと思います。

 家で過ごす時は、お店屋さん、ままごと、折り紙と、女の子らしい遊びを好み
ます。おしゃれや料理にも興味があり、家内のマネばかりしています。大変な甘
えん坊でもあります。家と幼稚園では、すこし違う一面を見せているようです。

入園前は、楽しく幼稚園に通えるかどうかと心配しておりましたが、杞憂だった
かもしれません。
先生の話は、聞けるようになって欲しいなぁ。

2010年6月19日土曜日

祖母の逝去について

 正月の四日に、私の祖母が亡くなりました。昨年の12月の初旬に骨折し、治療
のため入院していたのですが、これで老衰が決定的となってしまったようです。
たち上がる瞬間に折れて転倒したらしいということですから、骨密度がだいぶ下
がっていたのでしょう。享年97才でしたから、大往生と言って良いと思います。

 1913年(大正2年)に生まれた祖母は、私の母を含め、4人の子供を育てまし
た。祖母の世代に敢えて名を付けるなら、「超国難世代」というところでしょう
か。彼女の夫である祖父は、戦争に駆り出されました。祖父は兵士の間に流行し
た脚気で戦列を離れ、命拾いをしました。そして昭和21年に私の母を産んでくれ
たのでした。

 私の、祖母についての最初の記憶は鮮明です。多分5才くらいのことだと思い
ます。祖母の住む母の実家に親戚の女性たちが集まった席で、皆が祖母を囲んで
いました。祖母がブラジャーを「ちちあて」など呼び、何やら大騒ぎしていまし
た(なんちゅう親戚や。。まあ、おおむね楽しく過ごしたようです)。それと、
私が母の実家の離れで一人閉じ込められてしまった時、私の泣き声を聞いて助け
に来てくれたのが祖母でした。これも5才くらいでしたでしょう。祖母にお礼も
いわずに母を探しに駆け出してしまいました。せっかく助けてくれたのに、悪
かったな、と子供ながら思いました。

 私は、親戚の大人たちが苦手な子供でしたので、可愛らしい孫にはなれません
でした。親戚で集まるとたいてい酒宴になってしまって、からかいの対象にされ
るのが嫌で、あまり近寄りませんでした。年の離れた従兄も、今思えば球技が好
きなだけでしたが、自分と違うように思えたので、遠くから見ているだけでし
た。物静かな、おとなしい孫と思っていたことでしょう。私が小学生のころです。

 私の父が人をほめることは滅多にないのですが、父は祖母のことをしばしば称
えていました。表現はその時によって様ざまでしたが、養鶏の手腕がただもので
ない、ということでした。たしかに敷地に養鶏施設がありました。百羽は居たと
思います。鳴き声が絶えず庭先をこだましていました。野菜を育てるのも、得意
だったようです。裏庭で育てたオクラも覚えています。カブトエビを初めて見た
のも、祖母の田んぼでした。光を浴びてなめらかに泳ぐ姿にしばらく見とれてい
ました。その近くでスイカが育っていました。私には夏の思い出が多く、神奈川
に住む叔父が帰郷しての帰り際、祖母が涙をこぼして彼との別れを惜しんでいま
した。私は鶏の声を聞きながら、車が出るのを待っていました。

 中学生になると、祖母の家を含め、親戚の家に遊びに行くことは殆ど無くなり
ました。私を可愛がってくれた祖父が急死した時に、葬儀のため久しぶりに祖母
の家に出かけました。祖母はせわしなく、玄関の掃除をしていました。葬儀の参
列者を慮っての掃除と言っていましたが、誰から見ても動揺した心を落ち着かせ
るためでした。夫に突如先立たれた祖母の気持ちを思うと切ないばかりです。祖
父の火葬が済んだ後、火葬場で食事をしたのですが、その席で「父の家業を継い
で欲しい」と言われましたが、私はうつむいたまま黙ってしまいました。私が父
の稼業を継ぐことを拒否していることを親戚中が知っていて、彼らに会うたび同
じことを繰り返し言われたものでした。そんなわけで「ああ、おばあさんも応援
してくれないのか」と落胆してしまったのです。しかし、あの席では、嘘でも
「継ぎます」などとは言えません。亡くなったお祖父さんに誓うも同然でしたか
ら。おばあさん、ごめんなさい。今から20年も前のことです。

 地元の夏祭りの時に、母は祖母を招待し、一晩くらい泊って行きました。父が
獅子舞の笛を吹き、お祖母さんが泊りに来るという、子供にとっては、またとな
い特別な1日となりました。祖母に時代劇を勧めたりしましたが、祖母はあまり
見たくないようでした。娘の嫁ぎ先とは言え、気を使っていたようでした。慎ま
しやかな性格の持ち主でした。

 たぶん私が小学生に上がったばかりの頃だと思います。私は外耳の異常を手術で治したのですが、ある日入院のため朝早くから支度をして家を出なくてはなりませんでした。とても寒い冬のことでした。付き添いの私と母を案じて、突然、祖母が尋ねて来てくれました。母も少し驚いておりました祖母は、何か手伝えることは無いかと言いたげにしておりました。私は、ただ眠くて、ぼうっとした頭で、なぜお祖母さんがここに居るのか、分からずにおりました。娘(母)と孫を不憫と思って来てくれたのでしょう。とても優しい気持ちの持ち主でありました。

 大学に行き始めると、とうとう祖母に会う機会が無くなりました。高校生の時
も、1度もあっていないかもしれません。それでも、敬老の日に万歩計を買っ
て、母にお願いして渡してたりしました。祖母が喜んで毎日散歩していると聞く
と、誇らしい気持ちになったものです(一方、母は野菜や果物を押しつぶして
ジュースにするという、迷惑な代物をプレゼントしていたようです。。)。
 
 それ以外は没交渉ぎみでしたが、たまにお小遣いをくれました。お礼の電話を
かけると、「。。。?」。渡したことを忘れているようでした。姉が遊び行く
と、「どちらさまでしょうか?」。姉は怒りながらも笑っていました。自転車で
野菜を乗せて7〜8Km先の私の家まで野菜を届けてくれました。畑仕事が好きな
せいか、健脚の持ち主でした。私はその野菜を口にしていたに違いありません
が、祖母に会うことは滅多に無くなりました。

 親類たちの願いかなわず、大学に進学した私に、健康相談を持ちかけてくれる
ことがありました。あれは体に良いか、どれが良いのか、ということを聞いてく
るのですが、民間療法は大学では習わないので、さっぱり答えられませんでし
た。代わりに、色々なものを食べて栄養のバランスが重要、ということを繰り返
し答えていました。話が全く噛み合っていませんが、今思えば楽しいひと時でし
た。マツキヨのCMで薬剤師が登場すると、私のことを思い出してくれていたよう
です。

 その頃から10年以上たち、私は東京の式場で結婚式を挙げました。高齢となっ
ていた祖母は残念ながら不参加でした。お礼に親戚を訪問し、そこで祖母にも会
えましたが、気が動転してしましい、何も覚えていません。

 2年後、父と母を誘って家内と旅行に行きました。温泉街で買った土産を祖父
の霊前にささげるため、祖母の家に行きました。歩いて行くと、祖母が立ってい
ました。日に焼け、背筋はぴんとまっすぐ。90才を超えているとは思えませんで
した。2005年の秋の頃です。家人は畑に出ていて、祖母ひとり昼に帰る皆を待っ
ていたようです。食事を頂戴するのは悪いと思い、早々に退散を告げましたが、
別れ際に祖母と握手をしてもらいました。帰る私と家内を追いかけるように、縁
側を素早く降りたのを覚えています。照れ臭さも手伝って、そそくさと退散して
しましました。かえって寂しい思いをさせてしまったかもしれません。その後、
私が来たということを、祖母は家人に知らせてくれたようです。皆さん突然の私
の来訪を信じられず、祖母の妄言でも始まったかと思ったようです。土産を置い
て行きましたので、事の次第はすぐに判明しました。しかし、祖母の元気な姿を
見たのは、これが最後となってしまいました。

 その後、私が研究員をしていた頃だったと思いますが、1回目の骨折をしてし
まいます。たしか恥骨でした。うつ伏せに倒れてしまったそうです。さらに、入
院中に肺炎を患い、親戚中が覚悟を決めました。幸いにして祖母は肺炎も骨折も
治し、退院します。当時、研究稼業の厳しさに喘いでいた私も大変励まされまし
た。しかし、以来、畑に出ることが出来なくなってしまいました。

 2007年に娘が生まれましたが、このひ孫を会わせることは、なかなか叶いませ
んでした。私が研究渡世のため、遠方に越してしまったためです。娘を会わせる
のは、2009年、祖母にとって最後の夏を待たねばなりませんでした。久しぶりに
会う祖母の肌は白くなっていました。日焼けした祖母しか記憶がありませんでし
たので、とても意外な気がしました。たまたまテレビで山城某が亡くなったと報
道していました。その瞬間、冷たい予感が背筋を通り抜けていきました。娘との
記念に、カメラを持っていったのですが、とうとう撮れずじまいでした。娘が終
始ご機嫌に過ごしてくれたのがせめてもの救いでした。祖母は耳が遠いこと以外
は、しっかりした受け答えができました。祖母との会話は、それが最後となって
しまいました。

 その冬に、2回目の骨折をしてしましました。最期は冒頭に書いたとおりで
す。入院したての頃は意識もはっきりしいて、話しも出来ていたようです。しか
し、年末に私が帰郷した時には、会話はできなくなっていました。年を越し、4
日の未明に逝去しました。この日の昼には存命しており、帰り際に病院に寄った
のですが、すでに親戚が集められて、母もそれに合流しました。家内と娘も立ち
よることができました。娘はただ事でない雰囲気を察知してむずがったので、家
内と外で待ってもらうことにしました。病室で久しぶりに会う親戚としばらく一
緒にいました。旅立つ人に向かって下世話にも「早く元気になってね」等と大声
で呼んだりしましたが、反応はありませんでした。ただ、昨晩から、ずっと目を
あけているとのことでした。今生の別れを覚悟しました。しかし、帰り支度をし
ていながらもう一晩泊るともいえず、やむを得ず帰宅しました。翌朝、姉から訃
報を受けました。後から聞いた話では、私が終電の新幹線から降りる頃に亡く
なったようでした。

 祖母の入院中、仕事の合間をぬって母が付き添いました。母は長女ですので、
祖母の片腕として家事を切り盛りしていたに違いありません。祖母と母は特別な
絆で結ばれていたはずです。そんな母を案じた私は、遠路でしたが葬儀に参列す
ることにしました。意識がある頃、祖母はお寿司を食べたいといっていたようで
す。そんなわけか、告別式では食べきれないほどのお寿司が出ました。姉の子供
たちも重い雰囲気を和らげてくれました。翌日は葬儀があり、花々に囲われた祖
母を火葬場に移しました。20年前の祖父の時と同じ火葬場でした。さすがに母と
その妹の叔母が沈みこんでいました。二人に「おじいさんと同じ場所に居させて
あげるために、同じかたちにしてあげないと」と声をかけてみました。案の定、
あまり効きませんでしたが、前向きに受け取ってもらえたようでした。私も20年
前より人の死を悼む気持ちが強くなっていました。逆説的ですが娘を授かった経
験をしたためだと思います。

 30数年前、私が生まれてからしばらくの間、母と私は祖母の家に居たようで
す。私の先天異常が判明し、母は泣いて暮らしていました。祖母が何かと元気づ
けてくれていたようです。「泣き声で分かる、この子の耳は聞こえている」と。
母は祖母の言葉に希望を託しました。母は私の先天異常を嘆く素振りを見せたこ
とがありません。きっと、その時、祖母が授けた勇気が受け継がれているので
しょう。子供を授かると、その親にも色々なことが起こるのでしょう。
 
 紐で結わえた竹四本の周囲を葬列が回るという不思議な儀式で納骨をすませた
後、参列者一同、お寺の集会所で会食をしました。何やらほっとした雰囲気に包
まれたのがとても印象的でした。長い間、祖母を介護した叔母に労いの言葉を掛
けることができました。「母の代わりに、有難うございました。」気がついたら
土下座していました。祖母のために何もしてこれなかった自分・期待通りの孫で
無かった自分を恥じていたこともあります。周りは少し驚いていたかもしれませ
ん。叔母さんは本当に大変だったと思います。それと、私がやって来たからで
しょうか、母は最後まで気丈でおりました。セレモニー全般に不得手な私が、粗
相しないか注意を払っていたのが却って良かったのかもしれません。

 天国のおばあさんへ:
  
   どうもありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。お祖父さん
には会えたでしょうか。初盆には帰れると思います。


 

 
 

 

2010年6月18日金曜日

イクメンパパ 現実感のない政策

 子育てパパ「イクメン」支援を厚労省が推進するらしい。男性の育児休暇取得
率の向上を目指す、と。
パパの職業や勤務状況によるので、一概な押し付けは迷惑だけど、後世のためと
ても良いことだと思う。

 ところで、パパは外では自分自身やライバルたちと競争しているのですが、イ
クメンしていたら、その競争には負けてしまいます。
イクメンしないパパが、イクメンパパを打ち倒し、先へと進んで行くのは、仕方
のないことです。

 私の場合、子供のころから競争には興味がありません。そもそも闘争心という
ものに欠けているのです。それが経歴に表れていて、たまに恥ずかしい思いをす
るのですが。。それはともかく、イクメン、大歓迎です。娘可愛いし。

 しかし、イクメンに心置きなく携われるのは、雇用が安定している大企業の社
員や公務員くらいではないでしょうか。あと、イクメン日記でも出版して、いっ
ぱつ当てようとたくらむ芸能人の人だとか。

 契約職員で研究者の私の場合、競争に負ければ解雇が待っています。このよう
な状況では、育休取得なんて考えられません。殺伐とした職場では、男の育休な
ど職務放棄とみなされるのが現実です。育休取らなくても、家庭と仕事の両立を
心がけていたら、たった3年でリストラ対象に。

 イメージ先行ばかりで、現実を見ていない政治。所詮、恵まれた一部の人間が
例の裸踊りをしているに過ぎないと思います。

 それにしても、休日に娘を家内に託して仕事に行く時の、辛いこと辛いこと。
あ、今週も休日出勤決定です。働くのは嫌いでは無いけど、少なくともイクメン
している場合ではない、と。

 育児休暇を義務化でもしない限り、普及は無理でしょうね。。それでも抜け駆
けして仕事するパパは出てくるでしょう。世の中、大変厳しいので、そのパパを
責める道理はありません。

 愚痴っぽくなってしまいました。。救いようのない、つまらん内容で申し訳な
いです。

2010年6月17日木曜日

言葉を慎むこと 裸踊りの真意

 戦犯として亡くなった日本の政治家が、処刑の直前に「天皇万歳」を、天皇マ
ンザイですか?などと戯れ言のようなことを言ったという。その人の名は広田弘
毅。ちなみにこの話はフィクションという説もある。しかしその人物象に少なか
らず暗い影を落としている。

 先日、首相を辞任した鳩山由紀夫氏がTwitterで「裸踊りをさせてくれてあり
がとう」と呟いたらしい。元々つかみ所のなかった印象にいっそう拍車がかかっ
てしまった。彼の発言を真剣に受けとる人は、いなくなってしまうのだろうか。

 此の地に棲んではや4年となる。この土地の言葉を一生懸命練習したがとうと
う身につかなかった。家内に中途半端な方言は止めて欲しいと言われてしまっ
た。おかしな言葉を娘が真似するのがいやなのだという。

 人は、言葉を慎まなくてはならない。広田・鳩山・私に共通していいたのは、
油断、である。油断すれば思いもよらない言葉が遂々と出てしまう。しかも、一
度言ってしまったことは消えることはない。

 ところで、国民に沖縄県のことを考えるきっかけを作った鳩山氏の功績は大き
いと思う。米国への追従路線に一矢報いようとした姿勢も国民の心には清々しく
映ったに違いない。一国の代表として米国と喧嘩する度胸の持ち主は、今の日本
には、そうはいない。

 この人は、純粋で強い信念を持つ、好人物であると思う。ただ、それが周囲に
伝わりにくいのだ。理系の人間に似た傾向があるように思う。

 「裸踊り」は、私なりには解釈できる。要するに首相というパフォーマンスに
興じた、と言いたいのだろう。衆目の前で恥も外聞も捨てて、その役割を演じた
のだ。私がこう解釈するのは、学会発表でもパフォーマンスに興じる気持ちで臨
むことがあるからだ。元々、人前に立つことが苦手なのだが、「裸踊り」でもす
ると思えば、度胸がわいてくる。この感覚に近いのではないだろうか。

 鳩山前首相はいつの日か再評価されるだろう。政治家としてはともかく、勇気
と信念の人として。

 

 

2010年1月29日金曜日

久しぶりに更新

してみました。前の投稿から、色々なことがあったので、近いうちにまとめて投
稿することにします。それにしても相変わらず、誰も見ていないのね。。