2010年6月24日木曜日

書評:ゲノム敗北

 2004年に刊行された当時、大変話題になった科学者必読のルポルタージュ。ヒ
トゲノム解読競争において、日本はわずか6%の貢献率でした。この失敗の本質を
和田昭允博士など日本のゲノム科学の先駆者たちのインタビューを交えて検証し
て行きます。敗因をまとめると、だいたい以下のとおり。

1) 米国の研究者(本書ではワトソン)による政治的圧力に屈し、ポジション取
りの段階から後手に回った
2) 国内アカデミアの研究者は、技術の知財化・製品化への意識が希薄であった
3) 国産の技術が国内で理解されず、海外の企業に売り渡されてしまった
4) 研究者間・省庁間の足の引っ張り合い
5) 網羅的解析への無理解加え、ゲノム完全解読の意義をアピールする側が消極
的であった

 上記の問題は、いま現在どのような状況なっているでしょうか。私見を踏まて
ですが以下に述べます。

1):未解決問題。果たして日本の科学者のコミュニティから対抗馬が生まれてく
るだろうか。昨年の事業仕分けが引き金となり、多くの種がまかれたと思う。け
れど即効性はない。対等の駆け引きが出来るようになるには、長い長い時間がか
かるだろう。(でも、海外との駆け引きって、科学者の仕事かな?ひょっとし
て、外務省のお仕事?少なくとも初期は科学者同士の問題か)。

2):知財への意識は改善されつつある。その分、論文発表が後手に回るという問
題が起こってしまっている。

3):現在進行形の問題か。今でも多くの日本の技術が海外の大資本に買い漁られ
ているだろう。企業は利益の追求が最優先ですから、買ってくれる人が日本人だ
ろうと外国人であろうと気にしないのでしょう。愛国心のある社長なら、日本の
買い手を優遇するかもしれないが、基本的に営利団体に愛国という価値観を期待
してはいけないと思う。

4):たしかに門外漢の提案を冷遇する研究者は多い。島国根性はひどい。私です
ら時に感じることがある。省庁間の小競り合いは陸軍と海軍の頃からの悪しき伝
統。強い競争意識に、損得勘定に聡く、科学や国難でさえ立身出世の道具として
考えられない人間が上に立つと、このような悲惨な結末が待っている。自然を敬
う心・公共を尊ぶ心を蔑ろにし、事務処理能力ばかりを重視した教育の失敗と見
ている。

5)については、完全に科学者の問題であると思う。懐疑派を説得するとしたら、
以下のとおり。

 網羅的解析の価値は科学の分野によって様々であるが、少なくとも生物学の世
界では網羅的解析は重要である。これまでは無限であった探索空間を狭め、仮説
に可能性の順位を与えることが可能となるため、です。
例えば、試験管の実験で、あるタンパクAとタンパクBが結合することが分かって
いたとする。このタンパク間の結合が実際の生体で起こるかどうかは分からな
い。生体では、タンパクAに対する親和性においてタンパクBのそれを超越する他
のタンパクCが存在しているとしたら、タンパクAはそのタンパクとばかり結合し
てしまい、タンパクBとの結合は殆ど観察されなくなってしまう。タンパクCの
存在が否定されない限り、試験管見られたAとBの結合が、生体にとって意味があ
る結合であるとは言えません。そこで、タンパクCの存在を否定する必要が出て
きて、網羅的解析が不可欠となる。
 実際には、タンパクCが存在していても、条件によっては本来は2番手のBが結
合することもあるので、生物学は非常に奥が深い。そのような意味では、網羅的
解析は、生物現象の体系的なアプローチへの足がかりに過ぎません。しかし、非
常に大きな一歩と言えます。ゲノムを完全に解読することによって、網羅的に解
析できたかどうか、きちんと判断することが出来ます。
 つまり、完全解読によって分母が決まる。分母が分かっていることは、可能性
を1つ1つ潰していくアプローチにおいて、非常に重要な条件なのです。生物系
を始め複雑な現象を理解するには、このようなアプローチがどうしても必要にな
ります。身近な(?)例で説明するなら、手掛かりの乏しい事件を捜査する場合
に、おまわりさんがローラー作戦で現場周辺に聞き込みをしまくります。あれと
同じロジックです。
 
 すばらしい賞を多数受賞している著名な科学者が、講演で網羅的解析のことを
「ばか○ょん」と呼んでいて、大変残念だった。言い方もひどいが、このような
アプローチは科学ではない、とでも言いたいようであった。他分野、とくに年配
の科学者への網羅的解析への理解・普及が足りていないことを痛感してしまっ
た。生物学者の間では、もはや常識になりつつある。例外が多すぎてシステム的
に解決できないとか、再現性やお金がかかるという問題もあるけれど。

 日本の科学の発展のため、今日も頑張りまーす。

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