2008年6月22日日曜日

「遊び」はいずれ「ガス抜き」に

 今月の8日のことになりますが、秋葉原で無差別殺人事件がおきました。犯人は自分の置かれた境遇に満足できす、社会に対する怨みがあったということです。
 
 私がこの事件について思うのは、気持ちが萎えてきた時、くさってきた時の「ガス抜き」の方法を身に付けることが、いかに重要かということです。人生のうちでは精神的な危機に直面することが誰しもあります。その時に鬱屈した気持ちを上手に発散する術(すべ)が、自分を救い上げることになります。

 「ガス抜き」は触法行為ではないにせよ、親に隠れてするような性質のものかもしれません。子供から青年期の「遊び」から、家族や友人の影響を受けつつ、自分にあった方法を吟味しながら身につけていく、そういうものだと思います。それを獲得する時期は、子供~青年時期における「プライベート」の時間だと思います。これを逃すと、精神的なrobustness,toughnessが育たないと考えます。

 「遊び」「余興」は一見、不毛な行為が多いですが、将来訪れるであろう困難から自分の精神を防護する準備だと思えば、決して無益無用の代物ではありません。

 「ガス抜き」の方法は最低でも2つは身に付けるべきでしょう。あまり多いのも困りものですが1つだといずれ飽きてしまいます。秋葉原事件の犯人はゲームという趣味に飽きてしまい、発散する術を失い、手詰まりになって犯行に及んだのではないでしょうか(手詰まりから犯行計画への飛躍がこの事件の特異性でもありますが、ここでは言及しません)。

 子供~青年時代の「遊び」はいずれ処世術としての「ガス抜き」に昇華します。勉強時間の確保も大切ですが、子供の「遊びの時間」「自分の時間」を親は大切にするべきだと思います。新米ながら、1児の親として、そのように感じました。

 私のガス抜き方法は内緒ですが、これだけは飽きない、というのが見つかっていて、私は運が良かったと思っています。
 

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