2009年9月10日木曜日
2009年9月8日火曜日
8月下旬~9月上旬ごろ 成長記録
娘の成長記録を、まとめて。
1) 8月下旬ごろ:娘がめでたく「エジソンのお箸」を卒業。普通のお箸に。
2) 9月上旬ごろ:娘に無断でクレヨンを持ち出したら、それは自分のと主張したいのか大泣き。その気持ちを察して代弁してあげたら落ち着いた。その時の一言。「ママのじゃないしー」。これ以降、語尾に「ないしー」を付けることが流行した。
3) 9月上旬ごろ:おむつがはずれるまで、もう少し、かな? 教えてくれたり、くれなかったたり、そのときによって様々。
4) 9月上旬ごろ:公文式の幼児向けドリルがブームに。ご褒美のシール欲しさに奮闘。いつまで続くか
5) 9月上旬ごろ: はしに続き、はさみの使い方がおおよそ完成した。手が器用です。
6) 9月上旬ごろ:地元のU音頭が大好きです。毎日のように踊っているそう。家内まで上手になっていて驚いた。
7) たまにですが、あかちゃんに戻ります。特に私が仕事に出る時に。
そろそろ幼稚園選びです。情報だけで2つくらいまでは絞れました。あとは見学の上。
来月10月18日に、誕生日から数えてちょうど1,000日だそうです。営業日計算で判明しました。
私は、約12,000日のようです。

1) 8月下旬ごろ:娘がめでたく「エジソンのお箸」を卒業。普通のお箸に。
2) 9月上旬ごろ:娘に無断でクレヨンを持ち出したら、それは自分のと主張したいのか大泣き。その気持ちを察して代弁してあげたら落ち着いた。その時の一言。「ママのじゃないしー」。これ以降、語尾に「ないしー」を付けることが流行した。
3) 9月上旬ごろ:おむつがはずれるまで、もう少し、かな? 教えてくれたり、くれなかったたり、そのときによって様々。
4) 9月上旬ごろ:公文式の幼児向けドリルがブームに。ご褒美のシール欲しさに奮闘。いつまで続くか
5) 9月上旬ごろ: はしに続き、はさみの使い方がおおよそ完成した。手が器用です。
6) 9月上旬ごろ:地元のU音頭が大好きです。毎日のように踊っているそう。家内まで上手になっていて驚いた。
7) たまにですが、あかちゃんに戻ります。特に私が仕事に出る時に。
そろそろ幼稚園選びです。情報だけで2つくらいまでは絞れました。あとは見学の上。
来月10月18日に、誕生日から数えてちょうど1,000日だそうです。営業日計算で判明しました。
私は、約12,000日のようです。

近況報告
お盆休みから何も書いていませんので、このあたりで近況報告しておきます。いつものように、記憶をたぐりながらの執筆です。
1) 8/13: 予定どおり盆に帰省。娘を抱いてのフライトは乗務員のサポート手厚く着陸まで無事に。感謝。
2) 8/14: 齢96才の祖母と娘を会わせる。昨年の骨折で歩けなくなり野良仕事は辞めたようで肌の色がすいぶんと白くなっていた。2005年秋に家内と訪問した時は、小麦色で背筋もまっすぐ、畑に直立していた。あの姿が忘れられない。
3) 8/15: 姉家族とわたらせ河のプールへ。来年入学の甥っ子、英語の発音が上手になりました。fromとhomeの発音が同じだったけど、普通文脈で判断できるわな。おじさんも実はまだまだ勉強中、なのですよ。
4) 8/16: 自宅へ復路、飛行機で眠かったのか搭乗中から少しぐずぐず。見回せば周囲にもお子様たちがいて、やっぱりぐずぐず。連鎖反応か。そんな中、一人で乗っていた隣のお兄さん、紙コップの置き場に困った私にトレイを貸してくれた。感謝。それにしても69番ゲートは遠い!
5) 8/16: 娘が羽田空港のベンチで財布らしきものをひろった。私譲りの嗅覚か。もちろん届けた。
6) ひょっとして、姪っ子(3才)よりも娘の方が弱冠大きいのか?
7) 父母は元気そうで何より。特に母は以前の活力を取り戻した様子。
8) 帰省後、せっせとセミナーの準備を開始。作業行程すっかり頭から抜けたので、このブログに書いた先日のメモが役に立った。
9) 8/25 同僚の出産祝いを発送。
9) 8/27 2ヶ月ぶりのセミナー。60点。ある数値を入れ間違えるポカ。あせったが総括のスライドでかろうじて軌道修正できた。
9) 8/27 家内の誕生日。いちごのショートケーキ等でささやかにお祝い。ケーキは娘がぜんぶ食べました。家内はスポンジケーキが嫌いですしね。何よりも娘の幸せそうな笑顔、これが家内へのプレゼントなのでした。
10) 8/28 背筋痛で目覚める。しかたなく病院へ。筋肉の調整をしてもらいました。
11) 8/29 キャンプに向かう途中、衆院選の期日前投票へ。夕方にキャンプ場に到着。日の入り頃にサイト設置を完了。晩ご飯は近くのステーキ屋さんで。
12) 8/30 キャンプ場の近くの公園で一日遊ぶ。娘は遊園地、泥遊び、水遊び、ボート漕ぎでたいそうご満悦の様子。しかし、こんなところでトライアスロン大会(特に自転車)は危ないねぇ。
13) 8/30 興奮していた娘もようやく就寝。テントで寝ることには早くも慣れたようす。 衆院選の大勢が判明。家内と所感などを話しあった。
14) 8/31 キャンプサイト撤収。それにしても快適な、そして楽ちんなキャンプ場でした。すみずみまで行き届いており、反抗期2歳児&背筋痛の私というコンビにはぴったりでした。家内にはちょっと物足りなかったかな?帰りに、海の見える旅館で食事と温泉。絶景の露天風呂を娘と一緒に。娘にはお湯が熱かったよう。他のお客がいなかったし、湯温を下げてもらうようにお願いすれば良かったかな?
15) 8/31 帰りがけ、高速道路で家内とけんか。高速道路は家内の方が乗り慣れているので、私の運転では不安に感じるらしい。気持ちは分かるし、アドバイスをくれるのもありがたいけど、もうちょっとお手柔らかに頼むよ。
16) 最近聞いているのはRadioheadです。もうだいぶ前ことになりますが、Summer Sonicや幕張メッセの単独公演はすばらしい演奏でした。特にSummer Sonicの公演では突然のCreepに感極まった覚えがあります。その直前まで大物のblurが演っていたことは記憶に余りありません。かろうじてTenderが印象に残りました。コンサート、行っていないなぁ。

1) 8/13: 予定どおり盆に帰省。娘を抱いてのフライトは乗務員のサポート手厚く着陸まで無事に。感謝。
2) 8/14: 齢96才の祖母と娘を会わせる。昨年の骨折で歩けなくなり野良仕事は辞めたようで肌の色がすいぶんと白くなっていた。2005年秋に家内と訪問した時は、小麦色で背筋もまっすぐ、畑に直立していた。あの姿が忘れられない。
3) 8/15: 姉家族とわたらせ河のプールへ。来年入学の甥っ子、英語の発音が上手になりました。fromとhomeの発音が同じだったけど、普通文脈で判断できるわな。おじさんも実はまだまだ勉強中、なのですよ。
4) 8/16: 自宅へ復路、飛行機で眠かったのか搭乗中から少しぐずぐず。見回せば周囲にもお子様たちがいて、やっぱりぐずぐず。連鎖反応か。そんな中、一人で乗っていた隣のお兄さん、紙コップの置き場に困った私にトレイを貸してくれた。感謝。それにしても69番ゲートは遠い!
5) 8/16: 娘が羽田空港のベンチで財布らしきものをひろった。私譲りの嗅覚か。もちろん届けた。
6) ひょっとして、姪っ子(3才)よりも娘の方が弱冠大きいのか?
7) 父母は元気そうで何より。特に母は以前の活力を取り戻した様子。
8) 帰省後、せっせとセミナーの準備を開始。作業行程すっかり頭から抜けたので、このブログに書いた先日のメモが役に立った。
9) 8/25 同僚の出産祝いを発送。
9) 8/27 2ヶ月ぶりのセミナー。60点。ある数値を入れ間違えるポカ。あせったが総括のスライドでかろうじて軌道修正できた。
9) 8/27 家内の誕生日。いちごのショートケーキ等でささやかにお祝い。ケーキは娘がぜんぶ食べました。家内はスポンジケーキが嫌いですしね。何よりも娘の幸せそうな笑顔、これが家内へのプレゼントなのでした。
10) 8/28 背筋痛で目覚める。しかたなく病院へ。筋肉の調整をしてもらいました。
11) 8/29 キャンプに向かう途中、衆院選の期日前投票へ。夕方にキャンプ場に到着。日の入り頃にサイト設置を完了。晩ご飯は近くのステーキ屋さんで。
12) 8/30 キャンプ場の近くの公園で一日遊ぶ。娘は遊園地、泥遊び、水遊び、ボート漕ぎでたいそうご満悦の様子。しかし、こんなところでトライアスロン大会(特に自転車)は危ないねぇ。
13) 8/30 興奮していた娘もようやく就寝。テントで寝ることには早くも慣れたようす。 衆院選の大勢が判明。家内と所感などを話しあった。
14) 8/31 キャンプサイト撤収。それにしても快適な、そして楽ちんなキャンプ場でした。すみずみまで行き届いており、反抗期2歳児&背筋痛の私というコンビにはぴったりでした。家内にはちょっと物足りなかったかな?帰りに、海の見える旅館で食事と温泉。絶景の露天風呂を娘と一緒に。娘にはお湯が熱かったよう。他のお客がいなかったし、湯温を下げてもらうようにお願いすれば良かったかな?
15) 8/31 帰りがけ、高速道路で家内とけんか。高速道路は家内の方が乗り慣れているので、私の運転では不安に感じるらしい。気持ちは分かるし、アドバイスをくれるのもありがたいけど、もうちょっとお手柔らかに頼むよ。
16) 最近聞いているのはRadioheadです。もうだいぶ前ことになりますが、Summer Sonicや幕張メッセの単独公演はすばらしい演奏でした。特にSummer Sonicの公演では突然のCreepに感極まった覚えがあります。その直前まで大物のblurが演っていたことは記憶に余りありません。かろうじてTenderが印象に残りました。コンサート、行っていないなぁ。

2009年8月12日水曜日
メモ
研究対象の某がんマーカーの2量体モデル構築。休み明けの自分にメモ
ファイル名:「 05.B99990003cb05_07.pdb」Mod9v4でD600,K601を補完し2量体テンプレートPDBにsupuerimposeして2量体化した。
あとはマニュアル処理で各鎖のファイル上の位置の変更、アミノ酸番号の修正などを行った
1) ZN,Ca,Cl-のアミノ酸名、原子名を置換。スクリプト処理。2量体になっているので注意。
2) アミノ酸残基番号の変更は修正済みなので必要ない。
3) 糖鎖付加しているASNのアミノ酸番号を把握してNLNに置換しておく。
4) Leapで処理。まずはexplcit waterで。→エネルギー極小化。2量体化の結果一部の糖鎖とたんぱくが衝突しているので注意
こんなものかな。

ファイル名:「 05.B99990003cb05_07.pdb」Mod9v4でD600,K601を補完し2量体テンプレートPDBにsupuerimposeして2量体化した。
あとはマニュアル処理で各鎖のファイル上の位置の変更、アミノ酸番号の修正などを行った
1) ZN,Ca,Cl-のアミノ酸名、原子名を置換。スクリプト処理。2量体になっているので注意。
2) アミノ酸残基番号の変更は修正済みなので必要ない。
3) 糖鎖付加しているASNのアミノ酸番号を把握してNLNに置換しておく。
4) Leapで処理。まずはexplcit waterで。→エネルギー極小化。2量体化の結果一部の糖鎖とたんぱくが衝突しているので注意
こんなものかな。

近況報告
1) 2才半になった娘と初キャンプ。初日は好天に恵まれ、川辺で花火大会&お祭りで大興奮。なかなか寝付けず午後11時半にやっと就寝。その夜半から大雨。翌日も雨脚衰えず、文字通り止むを得ずに撤収。今年の天候は不順だ。また、晴れの日にいけたらいいね。
2) キャンプの翌日に詠んだ一句。「夏しぐれ 大風去って 蝉しぐれ」
3) 酒井法子事件は悉く不快なノイズでしかないので最早シャットアウトしたい。こんな時は、日本にやって来た外国人になったつもりで過ごすと良いかもね。「まー大騒ぎですなー。でも、日本の壱芸能人のことでしょ。興味ないねー。」という心境になりたい。私にとってはNHK大河ドラマ「利家とまつ」での好演が最後となりました。本人にとっては、20数年に渡り清純幻想を築き上げ、自らそれに引導を渡した。たった、それだけのこと。しかし、彼女の愛息はどうなるのだろうか。やっぱり、気になるなぁ。
4) Aのラストサマー、無事に終了したとのこと※。ぱちぱち。私は、家族とキャンプしてました。
5) 「おばあちゃんとおじいちゃんに会いたい」との娘のひと言により、夏期休暇を取って実家に帰ることになりました。娘と2人だけで、しかも飛行機でなんて、初めてだらけの帰郷となります。お父さんとの絆が深まれば良いね。ちなみに、体重を今日測定したところ、13.38kgでした。出生時から、おおよそプラス10kgです。フライトは明日。晴れるといいな。
※セットリストみたら、80年代の曲がほとんどでした。まるで「僕らの全盛期は80年代でした」と開き直ってしまったよう。聞き直してみると、90年代はもちろん、00年代に入っても名曲は出ている。汗涙以前の80年代はレコードの売り上げはあったけども、その後の音楽性、メッセージ性の深まりから、彼らにとってその時代は助走に過ぎなかったことが分かります。特に90年代に出た作品は圧巻の仕上がり、まさしく「円熟期」とと言えます。チケット取れなかった私のお仲間3000人が場外エリアに大挙したとのこと。このバンドの底力を感じます。集まった往年のファンのためにも、「星降る夜に」はぜひ演奏して欲しかった。私は全部で6回(1991,1992,1993,1994,1996,1998)参加できました。本当に、ありがとう。

2) キャンプの翌日に詠んだ一句。「夏しぐれ 大風去って 蝉しぐれ」
3) 酒井法子事件は悉く不快なノイズでしかないので最早シャットアウトしたい。こんな時は、日本にやって来た外国人になったつもりで過ごすと良いかもね。「まー大騒ぎですなー。でも、日本の壱芸能人のことでしょ。興味ないねー。」という心境になりたい。私にとってはNHK大河ドラマ「利家とまつ」での好演が最後となりました。本人にとっては、20数年に渡り清純幻想を築き上げ、自らそれに引導を渡した。たった、それだけのこと。しかし、彼女の愛息はどうなるのだろうか。やっぱり、気になるなぁ。
4) Aのラストサマー、無事に終了したとのこと※。ぱちぱち。私は、家族とキャンプしてました。
5) 「おばあちゃんとおじいちゃんに会いたい」との娘のひと言により、夏期休暇を取って実家に帰ることになりました。娘と2人だけで、しかも飛行機でなんて、初めてだらけの帰郷となります。お父さんとの絆が深まれば良いね。ちなみに、体重を今日測定したところ、13.38kgでした。出生時から、おおよそプラス10kgです。フライトは明日。晴れるといいな。
※セットリストみたら、80年代の曲がほとんどでした。まるで「僕らの全盛期は80年代でした」と開き直ってしまったよう。聞き直してみると、90年代はもちろん、00年代に入っても名曲は出ている。汗涙以前の80年代はレコードの売り上げはあったけども、その後の音楽性、メッセージ性の深まりから、彼らにとってその時代は助走に過ぎなかったことが分かります。特に90年代に出た作品は圧巻の仕上がり、まさしく「円熟期」とと言えます。チケット取れなかった私のお仲間3000人が場外エリアに大挙したとのこと。このバンドの底力を感じます。集まった往年のファンのためにも、「星降る夜に」はぜひ演奏して欲しかった。私は全部で6回(1991,1992,1993,1994,1996,1998)参加できました。本当に、ありがとう。

某巨額グラント
某巨額グラント申請の結果が出たが落選のもよう。そもそも中心研究者として発ったボスは当初から現実を理解しており、採択される可能性は先ずないと考えていた。しかし、お上の勧めでやむを得ず申請し、私も一部協力するはめになった。驚くべきことは、今回の申請での協力者の一部に、一次審査は通るだろうと予想していた人たちいたことだ。彼らの予想の根拠は唯一、「お上の勧めがあったこと」だ。申請数を増やしておけば研究者の需要が大きいことになるから、巨額グラントの意義を国民に説明する場合の好材料となる。S特区の時と同じく、お上の意図はその程度の事だったのだ。「お上の勧め→優遇処置がある」という論理展開はあまりに前時代的で稚拙だ。Nature, ScienceやCellに1報は出ていないと一次審査すら難しいと悲観的(結果が出た今となっては「現実的」ということだったが)な私とは対象的であった。見通しが甘い人たちと今後も一緒に仕事していくのは難しいと感じた一方で、やはりボスは、見所があると思った。ボスがリタイヤするまでは出来ればこのプロジェクトにいたいと思う。


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