小泉政権下で、「聖域なき構造改革」が断行されました。これにより国立研究
所や国立大学の独法化が決まりました。科学研究に政治家がメスを入れたわけで
す。この時点で科学者たちは団結して抗議行動をするべきだったと思います。
「科学者は意外に我々政治家の介入を許し勢力削減の意向も唯唯諾諾」と思われ
たのでしょう。簡単に言うと、甘く見られ付け込まれてしまったのです。それ
が、今回の仕分け作業の結果を招いたと言えます。日本の未来を、運命を握るの
が科学技術であることは明白なのですから、科学者たちは聖域であると断じ指一本
触れさせず毅然とした対応をするべきであったと思います。
「政治家は、国家を発展させることを目的とする」 これは自明だと思いま
す。国益増進に努める、それが政治家のあるべき姿だと思います(それが行き過
ぎると、国家間の過当競争、そして戦争ということになってしまうのですが、そ
こまでしての国益を日本国民は期待していません。首相が「これから、戦争しま
す」などといったら、たちまち内閣不信任案で解散決議でしょうから、少なくと
も現在の日本ではその心配はいりません)。日本という資源の無い国家の発展に
は、科学技術の推進が不可欠です。そこで、これまでの日本の政治家は科学者を
味方につけ、国力の増進に使ってきました。多かれ少なかれ摩擦はあったに違い
ないにせよ、両者の信頼関係によって成り立って来たと思います。今や、その信
頼関係は、政治家サイドから一方的に破棄され、多くの研究者たちは民主党には
不信感を頂いてしまっています。このような状況では、やがて国力が衰退するこ
とは目に見えています。
研究者は国家の援助をあきらめ、民間の資金で研究を行うべきとの論調があり
ます。無論そのようなケースが存在して良いと思います。すでに企業と連携し成
功を収めた大学や研究所はたくさんあります。企業の場合、国家の発展よりも企
業の利益を重視します。利益の一部は税金として国庫に納められ、結果として国
家が潤いますから、国益に繋がります。これはこれで良いと思います。しかし、
それだけで良いのでしょうか。他国に伍することは無いのでしょうか。国力を維
持・増進するに必要なものは、お金だけではありません。お金では買えないもの
を作り出すのは、科学技術です。お金で買えない科学技術を、国が国家戦略とし
て欲したとき、政治家と科学者が連携する時なのだと思います。ここで重要なの
は、国民ではなく、あくまで国が必要とするものを作る、ということです。国民
が必要とするものは、企業が主体となって作ってどんどん売るべきです。国民が
必要ないと判断したからといって、国費による研究を中断するのは過剰反応で
す。国費による研究は、国家が必要としないと判断した時に、中止するべきもの
です。
残念ながら、民主党は、国家戦略として欲する科学技術が無いのだろうと思い
ます。日本は科学技術によって発展した国家である事はさすがに知っていると思
いますので、実際は将来的な国家発展のビジョンすら持ち合わせていないのだと考えられます。
これは大きな問題です。選挙前、民主党の科学技術政策は
分かりにくく、少なくとも詳細な説明はありませんでした。きっと、その時か
ら、国家の発展に科学技術を使うという発想が無かったのでしょう(もしかした
ら、国家を発展させるという政治家の最低限の役割も放棄している可能性があり
ます)。自民党は、様々な問題を抱えていたとはいえ、科学技術無しには生きら
れない日本の特性を知って、科学者との信頼関係を築き、国家発展の基軸と
して科学研究推進を採用していた、ということになります。
政治家の気まぐれで、科学技術の推進・遅滞をコントロールすることは、長期
的には国益に反します。
少なくとも日本の政治家は科学研究の推進には積極的に寄与するべきであっ
て、今回の事業仕分けのように抑制的に働くことは望ましくありません。
民主党は、国益の増進という政治家の最低限の役割を果たすべきです。その核
は科学技術以外にあり得ません。
国益軽視・科学軽視の政党でも政権党になれるのであれば、憲法を改正するな
どルールを規定して、科学研究を聖域に戻す活動を展開する他ありません。
基礎研究と応用研究という対立構造については、また。
あと、国民へのアピール不足という意見、国民(世論)と科学者という関係に
ついても。